「その声かけ、OK or NG?」

私たちは障害のある子に日頃からいろいろな声かけをしています。日常生活の行動に対する促しに始まり、やってほしくない行動の制止や注意など、声かけしないで全てがうまくいくことはなかなかありません。でもそれは果たして本人のやる気を引き出し自己肯定感を持てるような声かけになっているのでしょうか?その時の自分の感情に左右された声かけになっていないでしょうか?また、利用している障害福祉サービスでの支援者や地域の方などからも様々な声かけをされていると思いますが、どんな声かけがOKでどんな声かけがNGなのでしょう?自分の声かけを顧みながら話し合ってみました。

まず初めに参加者の皆さんに知的・発達障害理解啓発キャラバン隊「長崎よかよか隊」のプログラムの一つ、”不器用さの体験”をしていただきました。手先が使いにくい状態である作業に取り組んでもらい知的・発達障害のある人の不器用さを疑似体験してもらうプログラムですが、同時に2通りの声かけで取り組みやすさの違いを体験してもらいます。声かけ一つで作業への取り組み方や感情が違うことに気付いてもらうことを目的にしていますが、皆さん体験することで声かけの重要性を実感されたようでした。
①「ゆっくり、優しく、ていねいに」②否定的な表現ではなく肯定的な表現で③年齢相応の声かけなどが理想的だと理解してはいるものの、時間的に余裕がなかったり、自分の体調が悪かったり、気分がイライラしている時などに、障害のある子がやってほしくない行動をすると、思いのほか普段より厳しく叱責したことがあるという経験をお持ちの方も多いようでした。後で冷静になった時、言い過ぎた、怒りすぎたと反省することがあるとのお話に頷かれる方もいらっしゃいました。同じ不適切行動でこちらのモチベーション(体調や時間的余裕など)次第で、対応が違ってしまうことは良くないと頭ではわかっていても、四六時中理想的な声かけをすることはなかなか難しいことです。また、以前「本人の自己肯定感を上げる声かけをしましょうと言われても、褒めるような行動をしてくれないので褒めることが出来ない」と話された保護者さんもいらっしゃいましたが、ある研修で”静かに待つことが出来た”という行動だけでも褒めるべきだとのお話しを伺いました。親としてはついつい子どもの不適応行動ばかりに目が行き、その行動を制止するために注意する声かけが多くなりがちです。しかし褒めることを探す視点で子どもの行動を見ると「食器を片付けてくれた」「静かにテレビを見ていた」「薬を忘れずに飲めた」など小さいことでも褒めることを積極的に探すことで肯定的な声かけが多く出来るようになるのではないかと感じました。年相応の声かけについても今までの癖で褒める声かけをするときについつい「お利口」と言ってしまうという方もいらっしゃいました。いい大人に対してお利口というのも変な感じだと分かっていても本人の理解もお利口=褒められているという認識で嬉しそうなのだが、変えた方がいいだろうか?との話も出ましたが、お一人お一人の違いで個別に判断して対応した方がいいのではないかとの意見が出ました。皆さん多くの経験に基づくお話しや、疑問など幅広くまた深い内容の話し合いが出来た定例会になりました。

次回の定例会は11月19日(水)10:00~12:00 大橋町の育成会事務所会議室で行います。皆さんお気軽にご参加ください。

『障害者のきょうだい』

9月の定例会は最初にきょうだいであるお二人が語る『障害者のきょうだい』という動画を視聴し、その後参加者で話し合いました。

障害のある子どもについての話となると、障害特性から来る困りごとや本人の行動などたくさん話題はあるものの、時にはその問題行動が武勇伝の様に語られ笑い話になったり、ささやかな成長の喜びが語られたりと互いの子育てを労うトーンになるのですが、「きょうだい」の話となるとみなさん真剣そのもの、時には重苦しい雰囲気が漂うこともありました。「きょうだいというより一保護者とういう感じ。時には親目線で障害のある子とのことを考えてくれる。」という年の離れた年上のきょうだいをお持ちの方々のお話や「障害のある小1の兄が大好きな年少の弟だけど、まだ兄に手がかかる分弟に寂しい思いをさせていないか心配。」という若いお母さまの話にはみなさん「私たちも同じような心配してきたよ~。」と頷かれていました。「仲が悪いわけではないけれど、きょうだいが家を出て、いない生活に慣れたのかきょうだいが帰省するとそのとたんいつまでいるのかと帰る日を気にし始める。」という意見には「うちも同じ!」と共感する方多数でした。「一緒に住んでいるが異性同士だからかあまり関りがない。」と、他の方の話を聞いて「羨ましい。」と言われるお母さまも。また「小さいときから障害のある弟をとても大事に思ってくれる子だったが、学生の頃学校に通えなくなったことがありとても心配した。ドクターに『小さい頃の穴が埋まっていない』と言われた。」というお話には、「きょうだいには親が気付かない気持ちの揺れがあるんだろうね。」、「親に言えないことをいっぱい持ってるんだろうね。」、「親を悲しませると思って言わないことがあるんだよね。」と、みなさんわが子のことに思いを馳せているご様子でしんみりとなりました。きょうだいが若くして亡くなったお知り合いをお持ちのお母さんからは「人生何が起こるか分からないからきょうだいが親より長く生きるという保証はない。」という意見もありました。
ダウン症のお子さんをお持ちの親の会であるバンビの会や自閉症協会でのきょうだい向けの活動では、きょうだい同士が集まるとみんなのびのびしていることから「同じ境遇の仲間の存在がとても大きな力や励みになる」というお話にはみなさん頷いていらっしゃいました。全国的にはきょうだいの会はあちこちにあるものの身近にはないので、きょうだいの会があればいいのにという声もありました。「親は半生、きょうだいは一生」という言葉を挙げて、「何かしてもらおうとは思っていないけれど、結局親なきあともきょうだいは契約や入院の際には必要とされ、支援者からはキーパーソンとして見られるんだよね。」という意見に、きょうだいに対して申し訳ないような気持にもなりました。こうあればよいというような結論は出ませんでしたが、きょうだいにはきょうだいの生活があるので多くは期待できないけれど、親なきあともよき理解者としていてほしいという思いで今回の定例会を終わりました。

10月の定例会は「その声かけ、OK or NG?」と題し話し合います。余裕のないときはついつい感情に流された声かけをしてしまった経験はどなたにもあると思います。声のかけ方次第でやる気が出たりなくなったりしますよね。どんな声掛けが有効か話し合ってみましょう。
10月16日(木)10:00~12:00、育成会生活支援センター(大橋町)会議室で行います。